「超古代文明アトランティス大陸、ムー大陸」は、本当に存在したのか!?

科学の発達や情報の拡散が目覚ましい現代においても、未だ明かされない世界の謎。国内外のミステリースポット、心霊スポット、諸説あるもののはっきりとは謎が明かされない遺跡や文化、不思議な現象などなど本当にあるのか。

「古代文明の謎」特集見て行ってください!!

史実としては残っていませんが、現代文明をはるかに凌ぐ超古代文明が存在したと、まことしやかにささやかれています。超古代文明の代表と言えば、アトランティス、ムー、大陸ではないでしょうか。しかし、そのような超古代文明が本当に存在したのなら、その痕跡はどこかに残っているはずです。そこでアトランティス、ムー、大陸文明を詳しく迫りたいと思います!

現在よりも高度な文明があったとされる「アトランティス大陸」とは!?

(画像は、イメージです)

アトランティス大陸は、伝説や神話に登場する、かつて存在したと言われる神秘的な大陸です。古代ギリシャの哲学者プラトンによって最初に言及され、その後の多くの作家や学者によって議論されてきました。

プラトンによれば、アトランティスは紀元前9,000年以上前に存在したとされ、西側の大西洋に位置していたとされます。彼は『ティマイオス』と『クリティアス』という対話篇の中で、アトランティスが高度に発展した文明を持ち、巨大な都市や富裕な社会を形成していたと説明しています。また、プラトンによれば、アトランティスは神々の怒りを買い、海に没したとされます。

しかしながら、アトランティスの存在は史実ではなく、伝説や神話の領域に属していると広く考えられています。アトランティスの物語は、人々の想像力を刺激し、探求心をかき立てる役割を果たしてきました。多くの研究者や冒険家が過去数世紀にわたってアトランティスの探索を試みてきましたが、その存在を確認することはできていません。

したがって、アトランティス大陸は、文学や伝説の中で魅力的な存在として残っていますが、歴史的な事実として確認されたものではありません。

アトランティスの痕跡とされるものが発見された!

ビミニ・ロード

ビミニ・ロード(Bimini Road)は、バハマのビミニ諸島(Bimini Islands)近くの海底に存在する一連の石の敷石のことを指します。これは、水深約6メートル(20フィート)の海底に広がる直線的な岩の列であり、長さは約0.8キロメートル(0.5マイル)にわたります。

ビミニ・ロードは、1968年にアメリカのパイロットであり、超常現象研究家であるジン・フォーキャンズ(J. Manson Valentine)によって最初に報告されました。フォーキャンズは、航空写真を調査中に、水中に不思議な形状の石の配置があることに気付きました。

ビミニ・ロードの形状と配置は、船の航行路に似ていることから、古代の道路や船の航行経路の一部ではないかという仮説が立てられました。この仮説は、古代の高度な文明が存在し、それが洪水や地殻変動によって沈んだ後、ビミニ・ロードが海底に残された可能性があるというものです。

ビミニ・ロードは、考古学者や研究者の間で議論の的となっており、自然の地質的な形成物であると主張する意見や、人工的な構造物であると主張する意見があります。ただし、ビミニ・ロードが人工的な構造物であるかどうかは、まだ解明されていません。

さらにこの水中の岩は大小の切石が敷き詰められ、直線になっているだけではなく、先端が「J」の文字になっていることも明らかになりました。この岩を調査したところ、なんと約1万5000年前には地表に露出していたことがわかったのです。しかし、多くの学者からは「単に岩がひび割れたにすぎない」という異論が出ます。この異論に対してアメリカの考古学者、デビッド・ジク博士は1975年と1977年に確認調査を行い、ビミニ・ロードは明らかに人工物であり、宗教施設や天体観察用の遺跡だと結論づけました。

ビミニ・ロードがアトランティス大陸の痕跡かどうかは謎に包まれたままですが。バハマ諸島の沖合からは、ピラミット状の構造物や石柱も発見されています!アトランティスの痕跡は夢がいっぱいですね。

日本にあった!?伝説の大陸「ムー大陸」とは??

(画像は、イメージです)

日本においてもムー大陸の概念は一部で広まりましたが、科学的な証拠や確固たる研究に基づくものではありません。以下に、日本でのムー大陸に関する情報を説明します。

ムー大陸の概念は、19世紀末にジェームズ・チャーチワードが提唱したものであり、彼の著書が日本でも翻訳されたことで一部の人々に知られるようになりました。特に、オカルトや神秘主義に興味を持つ人々や、古代文明に関心を寄せる人々の間でムー大陸の存在についての議論や関心が高まりました。

日本では、ムー大陸が日本列島や周辺の海底に存在したとする説も一部で唱えられました。この説では、日本列島が古代の文明の一部であるとされ、日本の神話や伝説にもその痕跡が残っていると主張されました。例えば、古事記や日本書紀に登場する神話的な場所や神々の名前が、ムー大陸の文化や地名と関連しているとされることがあります。

人口は6400万人を数え、人々は豊かな生活を送っていたそうです。ムーには白人で構成される民族が住み、ラ・ムーという太陽神の化身の王が大陸をおさめていたとか。

またムー大陸はアトランティス大陸とほぼ同時期に存在していて、交流があったと言われています。しかし、アトランティスと同じく、火山噴火と津波によって滅んでしまったそうです。

ムー大陸の痕跡は、あるのか、?

与那国海底地形

80年代に、与那国島でダイビングをしていた日本人が海底の巨大岩を発見。その後、海洋地質学者の木村教授らが調査に行き、かつては城のようなものだったのではないかと推測。
動物の顔の彫刻のようなものや文字のようなものも見つかった。

木村教授は、この一枚岩は1万年ほど前に建造されたものだと推定した。
もしこれが本当なら、ピラミッド建設の5000年前に建造されたことになる。

さらには、木村教授はこの一枚岩がムー大陸の一部ではないかいう仮説も立てた。

ムー大陸といえば、アトランティス大陸の太平洋版で、マヤ文明遺跡やインドの文献に存在が記され、一晩のうちに海の底に沈んだと言われる幻の大陸である。

しかしこの大陸の存在は、プレートテクトニクス理論の登場により科学的に否定されている。
なので木村教授の説には科学者たちはあまり賛同しなかった。

1997年に、欧米の「疑似考古学者」として知られる人物も参加して、再び海底地形の調査が行われたが、これは自然に形成されたものである可能性が高いと結論付けた。

この調査では与那国海底地形はメソポタミアでよくみられる塔にも似た人工的に作られたような形状をしているが、カメラアングルによってはただの岩にも見えると指摘された。
また、北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェーのように自然にまっすぐな形状が作り上げられることもあるとされた。

海底地形のある場所では何度も地震が起こったため、このような不思議な形状が作られ、木村教授が見つけた彫刻のようなものも刻まれたのではないかというのである。

さらに、付近で見つかった鍾乳石から、1万年前という木村教授の推定よりも新しいものだという調査結果も出てしまった。

そこで木村教授は説を変え、2000年前ほど、ちょうど邪馬台国の時代に地震が起こってできたのだと主張した。

もし海底地形が人工物であろうとなかろうと、陸の上にあったならば人々の注目を集めただろう。
イスラエルのアトリット・ヤムからは四角い家や人骨などが見つかっているが、与那国海底地形にはそうした名残はない。

実際、与那国のあたりには18世紀に40mの史上最大の津波が来ており、こうした自然の影響により人の痕跡は何も残っていないのかもしれない。

というわけで、この海底地形が古代文明の遺跡か自然による創造物かは、誰も知らないのである。